高野山・3

2024/11/19(火)雨

つづき

程なく慈尊院に着いた。

慈尊院は、高野山が年貢の徴収や外部との交渉の場として山麓

置いた寺務所で、高野政所ともいわれた。

後に弘法大師が母公(阿刀氏)の没後、伽藍を建て、弥勒菩薩

安置したため、以後女人禁制の高野に対し、女人高野とも呼ばれるように

なり、女性の参詣も多い。

ここに母公が住んでいて、弘法大師が月9回、町石道を通って、九度山

の名称は、そこからついたといわれる。

高野山資料)

慈尊院

受付

本堂の弥勒菩薩は国宝。御開帳は21年に一回という。21年は屋根を

吹き替える年数で、ご開帳はそれに合わせてあるという。

女人高野ということで、絵馬は乳房型絵馬といい、絵馬に布製の乳房が

付いている。

ご朱印代は、500-だったが、複数回捺印のWさんは、300円に

してくれた。

難読の丹生都比売(にうつひめ)神社の長い階段を上り、町石道が

始まった。

丹生都比売神

暑い中、最初は厳しい上りが続く。

私はここを歩くのは、4~5回目かな。

上り切れば展望が広がる。

回りは柿畑が多い。たわわに実っているが、収穫を感じられ

なかった。勿体ない・・・。

それでも、道々、無人販売店があった。

無料のお接待もあった。

ミカンが美味しかった。感謝。

つづく

無人販売

厳しい修行