入院記・2

2023/01/03(火)晴・10/40

つづき

12月20日(火)晴

消灯は21:00、点灯は6:00。看護婦さんが、「よく眠れましたか?」と回る。まあまあ寝れた。6:30、熱い「ほうじ茶」サービスがある。オバちゃんが、大きなヤカンで配り歩く。

7:00ころ、部屋掃除の方が来る。随分、早い。聞けば、始業は4:30という。驚いた。その後、顔拭き用の「タオル」が配られる。病院は様々な役割で支えられた「総合商社」だった。7:30、朝食時間だが手術日はなしで空腹。

 

ただ、夕べから、今日手術前の10時までに「経口補水液500ml2本」飲むが与えられたが、案外飲めなかった。

朝、廊下を散歩中、富士山が朝日に染まっていた。朝日の富士は、紅富士、浮世絵は、赤富士という。

11:30、着替えをし、Wに見送られ、手術室に運ばれる。パンツは脱いて、T字型の真っ白い「越中フンドシ」をつけた。看護婦さんに、これは「死に装束」だねと言うと、笑われた。もう、俎板の鯉だ。

今回、手術をしない選択肢もあった。手術をしても100%回復するか分からない。難しい判断だった。しかし、思い切って、手術を選んだ。担当の山下医師を信頼するしかなかった。

 

手術は、20年前の盲腸以来。緊張が走る。麻酔の準備が始まった。係りの方が、「麻酔します・・・」と聞こえたかどうかで意識は失せた。

何か物音が聞こえ、気が付いたら、16時だった。手術は無事終えた。足先は動いた。指先も動いた。良かった。夜中に目が覚める。静かだった。ぶら下がった、点滴だけが

静かに落下していた。

真夜中の  生命(いのち)を繋ぐ  点滴音

つづく

6Fから富士山