山岳遭難・3

2023/01/19(木)晴・10/50  今朝は、昨日より寒く感じない。

 

その後、

83年2月13日、M労山のS氏が塩見岳下山中に転落したが、重大な事故では

なかった。

89年5月2日~5日、剣岳で大きな事故を起こしてしまった。私の山岳人生

最悪の事故だった。

その年、冬山の偵察・下見でM労山、6名は、剣岳・早月尾根に入った。事故は4日12時20分、前剣を下降中の柳下紀之(34)君が、東大谷(ひがしおおたん)に滑落し亡くなった。

2日=前夜三島発。扇沢泊。

3日=アルペンルートで富山に抜けて、馬場島(ばんばしま)から早月尾根に入山。

   700m付近に幕営

4日=無風・快晴の中、9:40剣岳登頂。12時20分事故。以下、CLの山田

   氏の報告書から要所抜粋。

   2時起床。星がいっぱい。雑煮を食べる。全員食欲あり。3P~4P雪も

   多くなり、だんだん急になる。柳下君は少し遅れだすが、8時15

   分の休憩では、全員揃い行動食を食べ元気に話もしていた。

   (中略)柳下君だいぶ遅れる。振り向いても体が見えなくなる。

  9時40分、後藤・山田・渡辺・毛利の4名は剣岳に登頂。(中略)

  10時20分、柳下君空身で頂上へ。だいぶ疲れているので、荷物を

  軽くする。14~15kgぐらいになったと思う。

  天気は依然として上天気である。ここでアイゼンは、ダンゴ状になり、 

  危ないので外す。

  避難小屋までの難所も渋滞があったが、全員揃って下る。これで危ない所も

  終わりホッとする。柳下君も一緒に下り、もう大丈夫と思った。

  前剣の登りにかかり、柳下君遅れだすが、振り向くと、まだ姿は見えた。

  後藤・山田・毛利・渡辺の4名と柳下・杉澤の2名の間隔がだんだん開いて

  行った。

  4名雪壁(前剣の)を下り切ると、富士宮山岳会の女性が滑落して谷に落ちて

  行った。後藤氏がアマチュア無線で連絡中に上の方で、「誰かが落ちた」と

  声がして上を見ると、横縞のラガーシャツの柳下君が横になり、岩に2~3

  回バウンドして、叩きつけられ、東大谷の前剣沢に滑り落ちていった。

  雪渓が血で薄く赤く染まった。装備のべニア板とか、ザックが後から落ちて

  いった。

  富士宮の女性は自力で登って来た。柳下君は残念なことに死亡を確認した。

 

柳下君とは、数々の思い出がある。まだ、独身で下宿生活だった。事務所で会うと、

「眠っちゃ~」「かったり~」「腹減った」が口癖だった。

私も独身時代は寮生活だったので、彼の生活ぶりが分かり、「柳ちゃん、それは三重苦だね」と、かまったものでした。山での死亡事故はあってはならない。あってはならないことが、起きてしまった。

つづく

「あこがれの剣に」柳下紀之君追悼歌

雪ダルマのエルグランド

 

 

 

 

四番目は、