2023/01/20(金)晴・11/50 手術をして今日で丁度1ヶ月。シビレ・傷は、大分楽に
なった。
96年1月28日夜、ぼとぼち寝ようかなと思っていた時間、会員の奥様から電話が入った。
「主人が天城山・八丁池に行ったが、帰ってこない」だった。
翌日、すぐさま、東部ブロックの仲間にも頼んで、大規模な捜索が始まった。
私は、下山遅れは、「時間切れ」と思ったので、そのうち見つかる・出てくると踏んでいた。
我々は、逆コースの天城峠から八丁池を捜索した。
八丁池は、厳しい寒気で分厚い氷で覆われていた。ピッケルで穴を開けたら、20cmはあった。そうこうしてるうちに陽は昇り、燦燦と陽光が注ぎだした。
フッと見ると向うから誰かやって来た。
行方不明のSさんだった。聞けば、昨日は雪が深くて行程がはかどらず、日没となり、やむを得ずビバークしたという。
全く問題なく、元気だった。当時、65歳だった。一時は、重大事故と覚悟したが、問題ない結果で良かった。
その年末、12月29日~31日、Sさんは、我々と一緒に甲斐駒・仙丈ヶ岳に上った。
北沢峠にテン泊だった。夜はー20度の世界。テントの中でも、水がバリバリに凍る状況だ。Sさんの荷物は、ちゃんと記録があり、戸台から八丁坂を21kg背負って上った。
こうして考えると、Sさんにとって天城一晩ビバークなど、屁でもなかったかも知れない。ただ、当時は携帯がなく連絡出来なかっただけ。「下山遅れ」の連絡がつけば、大騒ぎになることはなかった。
ちなみに、それを契機にSさんは、携帯電話を会に寄贈してくれた。私が現在使っている携帯の番号は、その時の番号を継承している。
Sさんは現在、健在かどうか不明。お元気なら、92歳。案外、その精神力で頑張っているかも知れない。