山岳遭難・2

2023/01/18(水)晴・11/50

つづき

三番目は、1981年6月27日だった。

その日の夕方、私は家の付近を散歩していた。

その時、Wが慌ただしく駆けてきて「お父さん、大変」と告げた。

 

当時、私はM勤労者山岳会に在籍していた。その山岳会、会友の川口智也(もとや・

21歳)君が谷川岳で遭難したという。

山の会は、会員と会友がいた。

会友は、遠距離在住で地元で活躍できない方が、利用できる制度だった。

川口君は、両親がM労山会員で、高校時代から、登山に親しんでいた。

大学に入り東京に行ったので会友になった。

 

T電機大学に学んだが、一年留年した。その一年間、私と随分、山に上った。

南アルプス聖岳(ひじりだけ)東尾根、西丹沢・小川谷、南アルプス鳳凰三山

シレイ沢、吉田大沢、南アルプス北岳バットレス・・・。

 

私は、若い人が好きで、家にも何度か呼んで、カレーなど夕食を共にした。

一年留年後、電機大学に入学。当然のように、山岳部に入った。

大学山岳部はエグイ。若い仲間と、相当の山をこなした。スキーも好きで精進した。

80年暮れに栂池スキーで足を骨折した。半年間、山に行けなかった。

 

遭難は、復帰最初の山行だった。山は、谷川岳・一ノ倉沢烏帽子岩だった。

雨の中、登攀を終え、懸垂下降(ロープに身を託し下降する)に移った。

懸垂下降は、ロープをダブルにして末端を結び使う。

ところが、何故か不明だが、末端が不揃いで、最後はダブルでなくシングル

だった。

先に下降した川口君は、ロープが抜けて墜落した。即死だった。

登山センターに到着すると、コンクリートの床にシュラフに包まれ

横たわっていた。顔はキレイで、今にも起きて来そうだった。

 

02.pdf (susono-reihou.babyblue.jp)

 

「岳へ」川口智也追悼歌

 

仙丈ヶ岳・地蔵尾根