山岳遭難・1

2023/01/16(月)曇・16/53  今日は、大分、暖かい。

 

57年も登山を続けていると、何回か大きな事故は経験する。

最初の大きな事故は、1970年7月11日だった。

場所は、南アルプス早川支流・黒桂河内(つづらごうち)だった。

パーティーは、M・O・MZ・私の4名だった。私は22歳だった。

 

10日=21:00身延駅、22:00三里小学校で泊。

11日=梅雨でハッキリしない天気。10:00入渓。

    13:00、F1(フォールNO.1)着。

    14:00、Mが滑落して、右手首ヒビ。

    14:30、Oが滑落して、左足首複雑骨折。

    18:30、雨の中、沢でビバーク(緊急露営)。

Oの怪我が酷く、一晩、耐えに耐えた。

12日=6:00,ビバーク地発。午後、両名は身延山病院に入院した。

    その後、Oは、山を辞めた。大きな事故後、多くの方は、山を辞める

    ケースが多い。

南アルプス仙丈ヶ岳・地蔵尾根2014

1972年3月19日~21日、富士山で未曽有な山岳事故が発生した。

春の嵐の典型的な気象遭難だった。

当時は、個人で車は無い時代で、連休とはいえ、遠方の山にはなかなか行けなかった。従って、多くの山の会は、身近な富士山に上る会が多かった。

その時、何故か私は、何処の山にも行かなかった。

記録を見たら、2月14日から3月26日まで、1ヶ月以上、山に行っていないから、不思議と言えば不思議だ。

遭難したのは、静岡頂会(いただきかい)在籍の友人で裾野市在住の瀬戸敬三(たかみつ)さんだった。

彼とは、その数年前まで、沼津の北嶺登行会で一緒だった。彼はその後、頂会に移籍した。富士山は、海外遠征の訓練で上っていた。

天気は19日夜半から崩れ、20日に雪代(雪崩の一種)・低体温症で、死者18名、行方不明者6名が遭難した。死者の中に瀬戸さんがいた。まだ、20代だった。余りに早い死。葬式に参列した。

瀬戸さんには、お兄さんがいた。その後、お兄さんは、裾野市五竜の滝で、ソバ屋をやっていた。山の帰りに寄って、思い出話などしたものです。

つづく